原島さんについては一年ほど前に書いた記事をご覧ください。⇒塗装業界のパイオニア
原島さんにとってこの一年間は辛い年になったでしょう。
というのも去年の暮れに妹さん、今年の10月にお母様。と短い期間の中で大切なご家族を二人も病気で失いました。
会者定離・・・。
愛別離苦・・・。
去年自分も経験しましたが、生まれた時から当然のごとく居るはずの家族を失う。その辛さは当事者でしかわかりません。
しかも一年で二人もとなると相当なものでしょう。
顔を見て元気だったらそれでいい。
そう思ってさいたま市まで行くことにしました。
同行したのは成田塗装の大倉社長です。
今回の言いだしっぺでもあります。
着いたのは、夜の7時をまわっていましたので真っ暗になっていましたが看板をパチリ。
昔からいつか訪れてみたい。と常々思っていたペイントカフェです。
ピンポンを鳴らし、出てきてくれたのは原島さんです。
『ほんとに来たの?~入って、入って』
と笑顔で迎えてくれました。
仏前には、お母様の若い頃のお写真が並べられており、お母様に対する愛情の深さがヒシヒシと伝わってきました。今はお辛いでしょうが時間が解決してくれることでしょう。
この後
『せっかくきたので、、』ということで御飯に誘っていただきました。こんな機会もそうそうにないので、短い時間でしたがじっくりとお話させていただきました。その中で印象的だったのが、「らしさ」と「在り方」のお話しです。
現在、群雄割拠の状態にある塗装業界のWEBサイトですが、元祖を紐解けば原島さんに行き着くということに異論を挟む人はいないでしょう。
15年前、WEBサイトで一般のお客様から受注する。という背景には
・一部の元請けからの理不尽な要求。
・下請け・孫請けでの苦しい現状を変えよう。
・塗装業として世間に認知していただこう。
という思いからスタートしたと認識しています。
原島さんの著書にもそう書いてあります。
そのお陰で、後発組の我々はずいぶんと仕事をしやすくなりました。
一般の方が見ず知らずの私に連絡をくださり仕事を頂戴できること。また、ボランティアでは小さいお子さんと一緒にペンキを塗れること。
昔からすれば考えられない世界です。
業界の地位向上と発展。
これは、原島さんをはじめとした先輩方のお陰であります。
原島さん曰く
『会社を大きくするとかよりも自分は背伸びをせず、原島塗装店にご依頼くださったお客様にいい品質の工事を提供していき、そしてこれからも全国の塗装店の仲間と交流を深めていきたい。それが自分らしさであり、原島塗装の在り方。』とのこと。
近々、今度は原島さんが大阪に来られるそうなので、その時は駆け付けたいと思います。突然の訪問にも関わらず、快く迎えてくださりありがとうございました。